閉じこもり高齢者の受難を解くカギ

核家族化の進展と少子高齢化は、日本の総人口の減少により、
日々、深刻な高齢化社会を生み出しつつある。

「閉じこもり」それ自体は、若年者層から高齢者層まで、どの世代にも幅広くあるものだが。
中でも孤立化する高齢者の閉じこもりは、人権問題に加えて介護などにも大きく絡み、
その対応がかなり難しいのが現状だ。

いづれは誰もが高齢化に伴い、程度の差はあるとしても。
肉体的、精神的に劣化することが避けられない現実は、
まだ良識な判断が及ぶ範囲の時期には、
なるべくなら他人に迷惑は掛けないような生き方をしたいものだと思うものだろう。

高齢者の閉じこもりの原因については、人の数だけ、文字通り多種多様だ。

例えば、
長年付き添った連れ合いが亡くなったことで、その寂しさから内に籠る場合。
家族や親戚などと何らかの軋轢で、疎遠になり独り暮らしを余儀なくされたり。
そのまま、唯一血縁だった家族などを亡くし、いよいよ孤立する場合。
または生涯を通じて、婚姻の機会もなく独身を貫いて老齢化したり、
家族はいるが、近隣または、周辺以外の場所にいて、偶の盆暮れや正月などに、
家族と再会する程度の状態にある高齢者。
息子あるいは娘などが同居し、カタチの上では親子で暮らしてはいるが、
昼間は生活のため働きに出ているため、日中を長く独りで過ごす老人たちもいる。
事情や状況は千差万別だ。

どんな状況にあれ、問題なのは、そうした高齢者が社会との関わりを一切、
拒否することだろう。

拒否まではしないまでも、民生員や社会福祉関係者ら、さらには、
隣近所の町会や自治会などの善意の人々の呼びかけにも、きわめて消極的で、
ほとんど応じないことだ。

そうした孤立した高齢者が、身近に近親者が居ない場合には、
閉じこもりが引き起こす問題が、かなり深刻だ。

人を避け、ほとんど買い物以外には、外出しない生活。
自分の部屋という一見、自由で自分だけの気軽なテリトリーの中で、
ただ、日昼をテレビだけをつけて、ぼんやりと眺めて過ごす。
そうして、自分の身の回りにも自分だけの世界の中で、気を配る機会を失う。

閉じこもりは、人と関わりを持ちたくないという社会の自分を取り囲むストレスから
来ているのだろうが、
関わりを持たないという決意めいたものが、
一見、自らの意思で回避したつもりでも、それは、狭い自宅テリトリ―に
ただ身を置くだけの。つまり自分で自分を幽閉するというカタチを変えた
負のストレスだ。
つまりストレスの反作用を相変わらず受けているには変わりがない。

当然、自分の殻で自分を囲ったその反作用の報いは、
身体的には、足腰の筋力などを弱める低下の影響が出てきたり、
誰とも交流しないということによる認知機能の著しい低下を招く。

そのままを続けていれば、結果として孤立した老人に、追い打ちをかけるように、
認知症や孤独死を招くことにもなる。

外出するのが億劫で、閉じこもりがちな方。
ふと、ぼんやりする機会が増え、
認知機能の著しい低下や衰えが気になりだしたら、
一度、プラズマローゲンをお試しいただくのは、良いチャンスかもしれません。


個人の生き方の問題、個人情報との関連で、
対応は難しいが、
それでも閉じこもりの高齢者の気持ちを変える方法がないわけではない。

ここで引用したいのが、
日本の長者番付にいつもTOPを連ねている実業家であり、人生の成功哲学者でもある
斎藤一人さんは、ご自身の講演や著作の中で、都度、触れているキーワードがある。
それを応用することは、
閉じこもり高齢者の受難を解くカギになりそうだ。

斎藤一人さんが、よく言うキーワードとは、「自己重要感」についてであり。
それに気づく大切さだ。

孤立し、閉じこもる高齢者は、自分であれ、他人についてであれ、
「自己重要感」の認識や概念が全く欠けている。本質的には、
自己本位、独りよがりな思い込みで、
自ら疎外の種を蒔き、疎外の身を駆っているのだ。

斎藤一人さんの代表作の一つ「変な人の書いた成功法則」に次のような
文言がある。

「人というものは、どうしてだか知らないけれど、他人の欠点ばかりに目がいってしまう。
他人の自己重要感を満たそうとはしない。奪うことばかりを考えるのです。」

孤立化し、現実逃避する高齢者の傾向は、他人の欠点や自分の培った価値観とを
対比させて他人が許せないでいる。自分に自信がなく、ただ他人を妬む、
嫉む、羨む、あるいは欠点ばかりを注視し、
その自分の心の中で起きているストレスに押しつぶされている。

斎藤一人さんの示唆を活かすなら、
閉じこもる高齢者に、有効なのは、
その高齢者への「自己重要感」を満たしてあげることだ。

一人さんによれば、

「自己重要感」とは、
「自分は価値ある存在である」「自分は特別で重要な存在である」
「人から大切にされている」そして、
「人から尊敬されている」というようなことを実感すること。」
とある。

つまり、カタチを変えて幾重にも
「褒めて、褒めて、褒めまくる」事が良いとしている。

一般的には、外出を好まないという意味で、消極的に閉じこもるくらいなので、
他人が接触してくることには、ひどく、警戒心は強いが。

それでも、問題の高齢者を見かけた際には、機会を見つけては、
集いなどの誘いをかける。ヤドカリを突いて、一度、身を貝の中に
閉じこもった場合のように、
再び、おずおず身をさらしてくるまで、気長に待つように。
しつこくなく。強引でなく。執着なく。
時に、気づいても挨拶だけで、あるいは無視してさりげなく去る意外性をもって。
ただし執拗に。
相手が前向きな反応をするまでは、さり気なく誘ってみる。

きっかけとなる誉め言葉は、「〇〇さんがいるだけで、いいんですよ」
この何でもないような言葉が、案外、効くのだ。一度で、乗ってくることは、
ほとんどないが。
聞く耳を持たないが。その言葉を何度か聞くうちに、時間はかかっても、
冬の凍った川が少しずつ、静寂のうちに、微かな音を立てながら溶けるように。
必ず閉じこもりの幽閉の壁は、氷解し始める。
一度でも、人前に姿を見せるようになれば、さらに、表現を、
少しずつレベを上げて「褒める」ということに
シフトさせて、一歩ずつ、近づいていくことに効果がある。

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